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無駄の定義

2019年5月15日(最終更新日:2020年6月10日)

無駄だと何を持って判断しているのか

そんな無駄なことをして・・・無駄なことばかりやってないで・・・人生を無駄にするな・・・

こんな言葉が世の中には日々行き交っています。

また他人からかけられる言葉だけではなく、自分自身の判断の中で「無駄だ」と感じることが多々あるはずです。

これほどまでに当然のように使われている「無駄」という言葉ですが、使用されている大半のケースで根本的に大切なことが抜け落ちてしまっています。

それは

「無駄」の定義が曖昧であること

です。

話し合っている相手、もしくは自分自身が判断している「無駄」に置いて明確な基準がない中で考えていることが大半であるということです。

無駄とは国語辞典によると

役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。

のことを指した言葉であるようです。

人間であれば、役に立たないことなんてやりたい人はいないでしょう。

やっただけのかいがないことをやるのも、喜んでやる人なんているはずもありません。

しかし、同じ出来事であっても、ある人にとっては無駄であっても、別のある人にとって無駄ではないことがあります。

また、同じ人であっても、タイミング次第で無駄であったり、無駄ではなかったりします。

さらには、昔に無駄だと考えていたことが、今や将来において無駄ではなくなることもあります。

こんなことを考えて行くと何が「無駄」で何が「無駄ではない」のか分からなくてなってきます。

このように「無駄」の正体が分からなくなる原因は「無駄の定義」が曖昧だからです。

無駄の定義の決め方

では「無駄の定義」とは一体何なのでしょうか。

「人生に置いて無駄なんてことは一つもない」

という考え方もあると思いますが、今は「無駄」について考えているので、この考え方につていは除外して考えることとします。

無駄の定義とは

自分が果たすべき目標(目的)に置いて役にたつかどうか

です。

つまり「無駄」について考える前に

自分が何をしたいのか(ビジョン)

が明確でないと「無駄」という言葉を使う意味がありません。

それこそ「無駄」です。

ビジョンがない話に置ける「無駄」という言葉には全くの意味を持ちません。

他人と、自分と、ビジョンの共有がなされていない中での「無駄」という言葉にも意味がありません。

ビジョンがない場合の「無駄」には単なる「怠慢」しかありません。

自分で考える時であれば、ただめんどくさいと感じる、嫌な出来事に出会っているだけであり、他人に言う場合は、自分の意見を押し付けようと、簡単な言葉をチョイスしているだけにすぎません。

「明確なビジョンを持つことの重要性」について語られることがよくあります。

私の意見としては、明確なビジョンを持つかどうかはどちらでも構わないと考えています。

そんなことは本人が選択する問題で、他人が押し付けるものでも、他人が判断すべきものではありません。

しかし「無駄」という言葉を使うのであれば「明確なビジョンを示し共有する」という行為をした上で議論する必要があると考えています。

「無駄な人生」をわざわざ送りたい他人なんていないでしょう。

もしそうであるならば、まず自分が何をやりたいのか考えるところから始めない限り、何が「無駄」で何が「無駄でない」のかの判断はつかないでしょう。

(本人であれ他人であれ)やりたいことが共有されていない段階での「無駄」には何の意味もありません。

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